新潟 人材派遣業 株式会社ファインズ
新潟市に本社を置く人材派遣業「株式会社ファインズ」の社長日記です。
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2007/04/10 Tue 23:25:25  E d i t
4月10日は、私の実妹の誕生日。

去年、彼女はこの日からわずか数日後に、
42歳で亡くなってしまいました。

亡くなる直前、すでに余命宣告を受けていた
彼女の誕生日を、家族全員で涙を隠して
祝っていたことが、
なんだかずっと昔のことのようです。


私は、お通夜の日に、
初めて『千の風になって』という詩を知り、
それから「死」について
いろいろと考えてきました。


実父もいま、肺がんで入院生活を送っているのですが、
このこともあって、常に「死」という文字が
私の頭から離れないでいます。




さて、つい最近まで「週刊新潮」という雑誌に、
池田晶子さんの『人間自身』という
連載記事があったのを
みなさんはご存知でしたでしょうか?


しかし…、


その執筆者(池田晶子さん)も
2月23日午後9時30分、腎臓がんのために
亡くなってしまいました。享年は46歳。


私は、いつも楽しみにしていただけに
彼女に死がいまだに信じられなく、
残念でなりません。


その『人間自身』最終回は、
「墓碑銘」というタイトルでした。

いまもローマにある「墓碑」について
書かれているところを一部
抜粋して紹介します。



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 こんな墓碑銘が刻まれているのを人は読む。
「次はお前だ」。
 他人事だと思っていた死が、完全に自分のもので
あったことを人は嫌でも思い出すのだ。

 私は大いに笑った。
こんな文句を自分の墓に書かせたのは
どんな人物なのか。

 存在への畏怖に深く目覚めている人物ではないかと
いう気がする。
 生きているものは必ず死ぬという当たり前の謎、
謎を生者に差し出して死んだ死者は、やはり謎の中に
在ることを自覚しているのである。

 それなら私はどうしよう。
一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた
物書きである。
 ならこんなのはどうだろう。
「さて死んだのは誰なのか」。
楽しいお墓ウォッチングで不意打ちをくらって
考え込んでくれる人はいますかね。

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この文章だけでは「池田晶子って何者?」という
印象だと思いますが、著書を読むと真意が
理解できます。



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「14歳からの哲学」はベストセラーになったので
ご存知の方、あるいは著者のファンになった方も
多いことでしょう。


私の場合は、妹の死をきっかけに
「41歳からの哲学」を購入し、
人間の死に向き合うようになりました。

この本は、タイトルに「哲学」の文字が
入ってますが、もともとは「死に方」もしくは「死」
をテーマに書きはじめたものであると、
著者は「あとがき」で述べています。

私と同年代の女性が、なぜこんなにも深く
「死」について考えているのか…。

あれこれ疑問に思っていたとき、
突然、新聞に彼女の訃報記事。


本当にびっくりしました。



最後に、ちょっと長くなりますが、
池田晶子さん(慶応大学哲学科卒)の
『葬式』についての
考え方をご紹介して終わります。



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 そもそも、なぜわれわれは葬式をするのだろうか。
「死者を悼む」「死者を見送る」というのが、
普通の言い方である。

 人はあまり気がつかないが、この言い方自体が、
死者というのが「存在する」と思っていなければ、
あり得ないのである。

 すると、死んだら存在しなくなるというもう一方の
考え方は、どこから出てきたものだろう。

 単純である。肉体が存在しなくなるからである。
肉体という物(ぶつ)が、死んで死体となり、
それは必ず消滅するからである。

 死ぬということが、死体になるということなら、
なるほど人は死んだら存在しなくなる。

 しかし、死ぬということと、死体になるということは、
よく考えると同じことではない。
 なるほど他人にとっては、死ぬということと死体になると
いうことは、同じことであるように見える。

 しかし、それは「私は死んでいる」と死体は言わないと
いうことに過ぎない。死んだ本人が死んで
存在しなくなったのかどうか、生きている我々には、
やっぱりわからないのである。

 わからないからこそ、葬式をするのである。
考えるほどに、死ぬとはどういうことなのか、
その人は死んだのかどうか、わからなくなってくる。

 それで、わからない死を、わかったことにするために
葬式が要るのである。
 わからないのになぜそれが可能かというと、
そこに死体があるからである。

 物としての死体がそこにあるから、それをもって、
その人は死んだことに、とりあえず「する」のである。

 その意味では、死とは、社会的な決め事以外のもの
ではない。
 それ以外に、死なんてものは、この世のどこを
探しても存在してないのである。

 このように、葬式とは、死んだ者の問題ではなくて、
生きている者の問題なのである。
 当たり前のようだが、葬式を行うのは必ず残された者
である。だから自分がそれをするのでないのに、
あんまりあーだこーだ言ってゆかれると、
する方は困ることもあるんだろう。

 葬式はするなというのなど、この種のわがままの
最たるものなのかもしれない。
 みんなで集まって悼むことで、その人は死んだんだと
いう気持ちに、ようやくなれるものであろう。

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コメント
この記事へのコメント
4/10
4月10日は長男の誕生日です。今年10歳になりました。
Kさんの妹さんは今年は1歳なんですね…。
私たちのは「死」について考え乗り越える世代になったのですね…。
2007/04/11 Wed 22:38:31
URL | もう一人のH #USldnCAg[ 編集 ]
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