大会の真っ最中。
昨日は、準決勝の試合があって、
私は、初めて「FCバルセロナ」のサッカーを
テレビでじっくり見ました。
っていうか、
拝見させていただきました。

自分が初めて出会ったサッカーに
酔いしれました。
どのタイミングで息継ぎを
したらいいのか悩むくらいに、
息をのんで見てました。
対戦相手でもないのに、
試合前半のうちに「参りました」と
言いそうになりました。
実はですね…、
こんな日が来るだろうと予想して、
注文していた物が、
手元に届いたんですよ!
ナイス! 自分!

この本ですよ! 見て見て!
『FCバルセロナの人材育成術』
〜なぜバルサでは勝利と育成が両立するのか
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愛しのメッシが帰国するまでに、
しっかり読んで勉強させていただきます!
実は、「国語教育」に関心を持っています。
きっかけは、長男が中学一年のとき。
彼は、突然「国語」が嫌いになり、
そのことに、本人よりも母親の私のほうが
不安を抱きました。
息子に何かいいアドバイス(刺激)
を与えられないものか…。
長男には内緒で、
外国の教育現場の本を読んでみたり、
著名人の教育論を買いあさって読んだり…。
中でも刺激的だったのは
「大村はま先生」の本。
私の理想の国語教師です。
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ところが、大村はま先生に、
強力なライバルが出現しました。
いま話題の国語教師、
「橋本先生」もすごい。 ↓↓↓
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どうしてだろう…。
涙がとまりませんでした。
長男のためではなくて、
自分のために
読んで良かったと心から思ってます。
こういう日本人がいることに、
同じ日本人として誇りを感じます。
ここで紹介されている国語の授業は、
教科書を一切使いません。
一冊の薄い『銀の匙』という文庫本を
ゆっくりと3年かけて読むという、
おそらく世界でも類を見ない奇跡の授業。
教師の名前は、橋本武さん(現在99歳)。
橋本先生が50年間教壇に立ち続けた
この物語の舞台は、
『灘中学校・灘高等学校』。
橋本先生がこの私立校に赴任されたのは、
開校間もない頃ですが、
橋本先生の第3代目の教え子たちは、
「私立校として史上初の東大合格者数日本一」
を達成します。
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橋本先生は、言います。
「受験勉強は、記憶一点張りの
単なるツメコミで
まかなえるものではないのです。
観察力、判断力、推理力、総合力などの
結集がものをいいます。
その土台になるのが国語力だと思います。」
「例えば、英語の長文問題。
分からない単語が出てくる。
一文の意味がつかめない。
こうした「壁」に出合うと、
国語力のない生徒は、
往々にしてその壁の前で立ち止まり、
うずくまってしまう。
戦わずして戦意喪失してしまう子が多い。
そんな壁を前にしたとき、
何とか乗り越えてやろうと腕まくりするのが
読書量の多い生徒。」
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そうは言っても、
こんな薄い文庫本だけに頼っていて、
漢字の読み書きや作文は大丈夫なのかと
疑問を持つ生徒もいたようです。
ある日の授業のこと…。
級長が挙手をして、
いきなり立ち上がりました。
「先生!」
「先生、こんなペースだと200ページ、
終わらないんじゃないですか」。
…すると、橋本先生は、
生徒にプリントを配る作業をやめて
ゆっくりと教壇に戻られました。
「スピードが大事なんじゃない」
「たとえば、急いで読み進めていったとして、
君たちに何が残ると思いますか。
何にも残らない。
私は授業の速さを競っているわけではありません。
君たちに速読を教えようとも思っていない。
それよりも、みんなが少しでも
ひっかかったところ、
関心を持ったところから、
自分で横道に逸れていってほしいと思ってます。
どんどん調べていって、
自分の世界を深めてほしい。
私はその時間をとって進めているつもりです。」
「すぐに役立つことは、
すぐに役立たなくなります。
そういうことを私は教えようとは思ってません。
なんでもいい、少しでも興味を持ったことから
気持ちを起こしていって
どんどん自分で掘り下げてほしい。
私の授業では、君たちがそのヒントを見つけて
くれればいい…。
だから、このプリントには正解を書いて
ほしいとは思ってないんです。
自分がそのとき、ほんとうに思ったことや
言葉を残していけばいい。
そうやって自分で見つけたことは、
君たちの一生の財産になります。
そのことはいつか分かりますから…」。
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卒業文集に寄せられた
橋本先生の「編集後記(抜粋)」を読むと、
先生の人柄がもっともっと分かります。
「私は、『教え子』ということばで卒業生を
呼んだことはない。
教師と生徒との関係の限界を
知っているつもりだからである。
『師弟』という言葉さえ憚られる。
昔の家塾的な場においてならそれもよかろうが、
今日のような制度の中で、教え子という言葉は、
私には僭越な感じがして使えない。
自分を『教え親』などと意識することは
とうていできないからである。
教室での関係はすでに終わった。
授業科でつながれていた束縛はなくなった。
目に見えない校則で
しばられていた枷は外された。
教室で国語を手がかりとする
教師と生徒であったという、
精神的な連帯感だけとなった。
これから、諸君と私との間に、
新しい楽しい関係が生じなければならないと思う。
ぜひそうしてほしいと思う。
しかし、たとえそうならなくても
私は嘆かないつもりである。
私のために諸君の自由を束縛することは
できないからである。
私はまた、自分の手許から飛び立っていった
小鳥たちのことは忘れて、
新しく『灘』という巣へやってきた小鳥たちの
ために、夢中になって餌ごしらえをすることで
あろう。
その小鳥たちも、私の手の及ばなくなるほど
成長したときに、私の手から
飛び立っていくのだろう。
私はだまって見送るだろう。
そうして私は老いていく。
それが私の一生である。
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